私の娘の「ことりちゃん」には、自閉傾向と知的発達症があります。
6歳を過ぎて、まだ発語はありません。
発信は多いほうです。
大人の手を引っ張って、欲しいもののところに連れて行ったり。
テレビをつけて欲しければリモコンを渡したり。
聞いてわかっている言葉もたくさんあります。
「りんご」「ごはん」「ねんど」「ぬりえ」
「お着替え」「トイレ」・・・
でもそれらの言葉も、言葉だけでわかっているのか、
状況も合わせて判断しているのか、
はっきりとはわかりません。
例えば「お着替え」だったら、
・ママが新しい服を持って何か言っている
・朝食の後はいつも服を着替えている
という状況やルーティンで判断しているのかもしれません。
「ごはん」だって、
・ママが台所で何かしている
・美味しいにおいがしてきた
という状況と声掛けが重なって
はじめてことりちゃんの中で意味を結んでいるのかもしれません。
ことりちゃんの世界では、
言葉は紅茶に落とした角砂糖のようにゆるやかに溶けていって
輪郭がはっきりしないのかもしれない。
ただ、あやふやだったとしても、確かにことりちゃんの中に
言葉がしみこんでいっているということはわかります。
言葉があやふやな世界で、ことりちゃん、
あなたは何を感じているんだろう。
言葉を獲得して”しまった”大人の私たちは
なんでも言葉にして考えます。
でもその分、言葉にならなかったことは
意識にものぼらずに通り過ぎていく。
言葉が溶けていく世界は、私が想像するより
きっともっと明るくて豊かで大きい。
ことりちゃんの笑顔や、夢中になって遊んでいる様子から
そんな風に感じます。
言葉じゃなくても、表情で、身ぶりで、
絵カードなどのツールで
ことりちゃんの豊かな世界を共有できるといいな。
そして、
特性があっても無くても
言葉があっても無くても
感じる世界はひとりひとりきっと違うと思うんです。
同じ言葉を使っているようでも、背景が違ったりしますから。
内側の世界と世界が響き合って
外側の世界ももっともっと
豊かになっていく。
最近はそんなことを夢見ています。

